「音を、楽しむ」。

こんばんは。OCEAN KING Vo.Ricaです。

 

音を楽しむ、と書いて 音楽。

大人も子どもも、純粋に 演奏を楽しむことができたらこれはそこはかとなくステキなことだと思う。

わたしが小さかった頃、両親は 将来必要になることがあるかもしれない、という思いから、わたしにピアノを習わせてくれた。

実質3歳の頃から某大手音楽教室に通い、おかげさまで「絶対音感」も花開いた。

(このことに関しては、今日 実に興味深い考察を聞いた。絶対音感とは、持って生まれた人とそうでない人がいて、持って生まれた人がたまたま幼少期にその道を歩むことで開花されるのではないか、ということだった。)

 

JASRACが、大手音楽教室に勝訴したとのこと

これはこれで、わたしとしては大きな衝撃だ。

珍しく、時事ネタに触れてみる。

 

「あの曲を弾けるようになりたい」と夢を抱いて、ピアノ教室の門をたたく大人も、少なからずいるであろう。

我が父も、それに似ていた。

当時、流行していた布施明さんの「シクラメンのかほり」を弾き語りできるようになりたかったようで。どこからか楽譜を買ってきて、右手と左手の異なる動きに四苦八苦していた。

わたしたち姉妹はそれをおもしろおかしく捉えていた。”あの厳格な父が、ピアノを弾くだなんて、しかも、弾きながら歌うだなんて!!”

それでも父は、忙しい仕事の合間をぬって、コツコツと練習を重ねていたのだった。父が大切にしていたピアノ譜の表紙は、今でも鮮やかに眼前に現れる。

そんな父のチャレンジ精神を、今 心から尊敬している。おかげで、布施明さんの「シクラメンのかほり」は、わたしの血となり肉となった。

 

わたしは、法律にそれほど明るくはないのだけれど

JASRACと音楽教室の、この判決って

音楽を楽しむ人々の前途を阻むものになりはしないだろうか。

「あの曲を、弾けるようになりたい」

「あんな風に、演奏してみたい」

と思い描く未来の愛好家を拒絶するようなそんな虚しさを覚える。

わたしは、ピアノ教室の先生に言われるがままに曲を弾けるようにしてきたけれど

わたしの父は、「弾けるようになりたい」という衝動から音楽に寄り添おうとした、そのひとりだったと思う。

 

言わずもがな

曲を作った方々の権利は保証されて然るべきである。

その上で、

「布袋さんみたいに、弾けるようになりたい」

「Yoshikiさんみたいに、かっこよく演奏したい」

そんな、素朴な楽しみを、奪うような世界を

子どもたちに残したいのではない。

 



 


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OCEAN KING

私たち4人が出会ったのは'94年のことでした。 当時はそれぞれが別々のバンドで活動してましたが、 約20年の時を経て'13年に再会しバンドを結成。 布袋寅泰さんの曲や様々な楽曲のコピーをこなし、 '16年に初めてのオリジナル曲を完成させました。 それが「もう、このままずっと」です。 おかげ様で「Mステへの階段」1次オーディションも通過しました!